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Hiro — 連作
ACT V — MATURITY

第二十一章:負けを美しく

勝つことは技術。負けることは人間の稽古。広は「負けを汚さない」道へ足を踏み入れる。
Hiro連作(全30章) 21 / 30 成熟勝ちの外側にある型

夜明け前の相撲部屋には、音より先に「気配」がある。 まだ誰も口を開いていないのに、廊下の空気がわずかに動く。 襖の向こうで人が寝返りを打つ気配、湯が沸く前の台所の匂い、 雑巾に含んだ水の冷たさが床板に移っていく気配。 そして何より、土俵の土が乾いていく気配—— 土は朝のうちに少しだけ硬くなる。 その硬さが、稽古の痛みを増やす。 痛みが増えると、力士は余計なことを考えなくなる。 余計なことを考えないために、人は土俵へ上がる。

ところが広は、上がれなかった。 足首はまだ完全ではない。 痛みは引いたようでいて、ふとした角度で牙をむく。 痛みは時に、身体の真ん中を教えてくれる。 けれど同時に、身体の嘘も暴く。 強いふりをしたい心を、痛みが笑う。 「お前はまだ走れない」と、痛みは淡々と告げる。 淡々と告げられることほど悔しいものはない。

広は、悔しさの正体が変わってきたことに気づいていた。 昔は、負けた悔しさは「相手」に向かっていた。 相手が強いから負けた、相手がずるいから負けた、 あるいは運が悪いから負けた—— 悔しさはいつも外側に出口を探した。 だが今、出口は塞がれている。 足首の痛みが、外へ出る道を閉じている。 悔しさは行き場を失い、内側へ戻ってくる。 内側へ戻ってきた悔しさは、やけに静かだ。 静かな悔しさは、広の胸の奥に沈み、 沈んだまま、広に問いを投げる。

「お前は、負けたらどうする。」

勝つ方法なら、広はもういくつも知っていた。 ぶつかる角度。 まわしの掴み方。 足の運び。 息の置きどころ。 勝つための工夫は、努力の数だけ増えていく。 そして勝てば、誰かが褒める。 親方は多くを語らないが、背中の空気が少しだけ柔らかくなる。 兄弟子は「悪くない」とだけ言い、弟弟子は目を輝かせる。 勝つと、世界の扉がほんの少し開く。

だが負けは違う。 負けると扉が閉まる。 閉まる音が聞こえる。 そして恐ろしいのは、閉まる音が外ではなく、自分の中から聞こえることだ。 「だめだった」と自分で言ってしまう。 その一言が、膝を折る。 外の誰かに言われるよりも、自分の一言のほうが破壊力がある。

広は思い出した。 子どものころ、祖父が夜に縁側へ座り、 熱い茶をすすりながら何かをじっと見つめていた姿を。 祖父は多くを語らない。 語らないかわりに、背中が語っていた。 背中にあるものは、勝ちだけではなかったはずだ。 祖父の背中には、たぶん負けもあった。 それも、誰にも見せなかった負けが。 見せなかった負けは、恥ではない。 見せなかった負けは、品になる。 品になった負けは、背中の厚みになる。

その日、稽古場の隅で、広はひとりの力士の負け方を見た。 いつもなら負けない兄弟子が、若い力士に押し出された。 土俵の外へ出る瞬間、兄弟子の顔は歪んだ。 歪んだ顔は一瞬だ。 だがその一瞬に、人間の全てが出る。 兄弟子は落ちた。 土が舞った。 そしてすぐ立ち上がった。 立ち上がる速度が早すぎると、悔しさが飛び散る。 遅すぎると、悔しさに沈む。 兄弟子は“ちょうどいい”速さで立った。 その速さに、広は見惚れた。

兄弟子は、相手の目を見た。 目を見て、礼をした。 礼はいつもの礼と同じに見える。 だが違う。 負けた礼は、勝った礼より重い。 負けた礼は、自分の中の怒りを抱えたまま、 相手の勝ちを認める礼だ。 認めるという行為は、強さだ。 その強さがあるから、相撲は美しい。

広の胸の奥が、少しだけ熱くなった。 これは羨ましさだ。 勝ちへの羨ましさではない。 負けを抱えて立っていられる、その背中への羨ましさだ。 広は、初めて自分の欲望の形が変わっていくのを感じた。 横綱になりたい——その言葉の中身が、少しずつ変わる。 綱を巻きたいのではない。 綱に耐える背中が欲しい。

「負けを汚さない背中。」
「負けが背中を腐らせない背中。」

その夜、広はひとりで風呂の縁に座った。 湯気が顔にまとわりつき、視界が少し曇る。 曇る視界は、昔の墓地の朝に似ていた。 あの朝、広は石と線香と土の匂いの中で、 何か大きな背中を見た気がする。 それは実在した横綱の墓なのか、 それとも広の心が作った横綱の影なのか—— いずれにせよ、背中はそこにあった。 背中は、言葉を持たない。 背中は、勝ちも負けも黙って抱える。

湯の中で足首を動かすと、痛みが走った。 痛みは生きている。 生きている痛みは、今日という日を現実にする。 広はその現実の中で、負けの場面を想像した。 それは怖い想像だ。 怖い想像は、心臓の音を大きくする。 だが広は、怖い想像から目をそらさなかった。 目をそらさずに想像すると、想像は訓練になる。

もし負けたら—— まず、礼をする。 ただの礼ではない。 “負けた自分”を抱えたまま礼をする。 礼をするとき、心は必ず荒れる。 荒れた心を抱えたまま、礼の形を崩さない。 形を崩さないのは、相手のためではない。 自分の相撲のためだ。 形を崩すと、負けが汚くなる。 負けが汚いと、次の勝ちも汚れる。 次の勝ちが汚れると、相撲が汚れる。 相撲が汚れた横綱は、横綱ではない。

次に、控室へ戻る。 戻るときの歩き方。 歩き方にも相撲が出る。 早足で戻ると、怒りが背中に張り付く。 遅すぎると、悔しさに飲まれる。 “ちょうどいい”歩き方は難しい。 だから広は、歩き方を稽古した。 廊下を歩く。 息を深くする。 視線を落としすぎない。 まっすぐ見すぎない。 相撲部屋の廊下が、土俵の外の土俵になる。

「勝つ稽古は土俵でする。」
「負けの稽古は廊下でする。」

そして最後に、稽古場へ戻る。 人は負けると、逃げたくなる。 逃げれば楽になる。 だが楽になる方向へ歩くと、背中は薄くなる。 薄い背中は、綱の重さに耐えない。 広は耐える背中が欲しかった。 だから負けたら、稽古場へ戻る。 その場で相撲を取り直すのではない。 ただ土俵を見て、土の匂いを吸う。 土の匂いを吸うと、自分が相撲取りであることに戻れる。 相撲取りであることに戻れれば、負けは終わりではなくなる。

広はそこまで想像して、ふと笑ってしまった。 負けの稽古をこんなに真剣にする力士がいるだろうか。 だが笑いは悪くない。 笑えるうちは、心がまだ折れていない。 折れていない心は、負けを受け取れる。 受け取った負けは、背中の木目になる。 木目がある背中は、美しい。 美しい背中は、強い。

翌朝、親方が広を呼んだ。 いつもと同じ短い呼び方。 「広」 広は正座し、足首の痛みを腹に沈めた。 親方はしばらく黙っていた。 親方の沈黙は、いつも教えだ。 沈黙の中で、広は呼吸を整える。 呼吸が整うと、心も整う。

親方は言った。 「勝ちに行くな。相撲に行け。」 その言葉は、昨日の湯気の中で広が考えたことと、 不思議なほど同じ方向を向いていた。 広はうなずいた。 うなずく動作が、少しだけ大人になった気がした。 勝ちに行かないというのは、弱さではない。 勝ちに行かないというのは、勝ちの外側を守るということだ。 横綱は、勝ちの外側を守る者だ。

その夜、広は夢を見た。 夢の土俵は静かだった。 観客の声も、呼出の声も、遠い。 ただ土の匂いだけが濃い。 広は立っている。 相手も立っている。 立合いの瞬間、広は勝つか負けるか分からない。 だが不思議と怖くない。 怖くないのは、勝ちを確信したからではない。 負けを受け取る準備が、少しだけ出来たからだ。

立合い。 ぶつかる。 土が鳴る。 そして—— 広は負ける。 押し出される。 土俵の外へ落ちる。 土が頬につく。 冷たい。 冷たい土は、なぜか優しい。 土は勝ちを祝わない。 土は負けを責めない。 土はただ、受け止める。

広は立ち上がる。 急がない。 遅れない。 “ちょうどいい”速さで立つ。 その速さが背中になる。 相手を見る。 礼をする。 目の奥が熱くなるが、泣かない。 泣かないのは我慢ではない。 泣く前に、呼吸が整っている。 呼吸が整うと、心は乱れにくい。 心が乱れにくいと、礼が崩れない。 礼が崩れない負けは、汚れない。

「負けは、背中を作る。」
「汚れない負けは、未来を汚さない。」

目が覚める。 廊下に朝の光が落ちている。 光は冷たい。 冷たい光の中で、広は足首を確かめた。 痛みはある。 だが昨日より、痛みが静かだ。 静かな痛みは、心を落ち着かせる。 広は布団の上で、そっと手を合わせた。 祈りではない。 準備だ。 今日も土俵に上がれないかもしれない。 それでも広は、稽古をする。 勝つ稽古ではなく、負けを美しくする稽古を。

だが成熟は、ここで終わらない。 負けを美しくするだけでは、横綱の背中には届かない。 次に必要なのは、負けたあとにも勝ったあとにも同じ重さで守れる沈黙だ。 言葉で自分を救わない沈黙。 言葉で相手を切らない沈黙。 その沈黙を抱けるかどうかが、次の章で試される。 次は、第二十二章:沈黙を抱く(holding silence)