夜明け前の相撲部屋には、音より先に「気配」がある。 まだ誰も口を開いていないのに、廊下の空気がわずかに動く。 襖の向こうで人が寝返りを打つ気配、湯が沸く前の台所の匂い、 雑巾に含んだ水の冷たさが床板に移っていく気配。 そして何より、土俵の土が乾いていく気配—— 土は朝のうちに少しだけ硬くなる。 その硬さが、稽古の痛みを増やす。 痛みが増えると、力士は余計なことを考えなくなる。 余計なことを考えないために、人は土俵へ上がる。
ところが広は、上がれなかった。 足首はまだ完全ではない。 痛みは引いたようでいて、ふとした角度で牙をむく。 痛みは時に、身体の真ん中を教えてくれる。 けれど同時に、身体の嘘も暴く。 強いふりをしたい心を、痛みが笑う。 「お前はまだ走れない」と、痛みは淡々と告げる。 淡々と告げられることほど悔しいものはない。
広は、悔しさの正体が変わってきたことに気づいていた。 昔は、負けた悔しさは「相手」に向かっていた。 相手が強いから負けた、相手がずるいから負けた、 あるいは運が悪いから負けた—— 悔しさはいつも外側に出口を探した。 だが今、出口は塞がれている。 足首の痛みが、外へ出る道を閉じている。 悔しさは行き場を失い、内側へ戻ってくる。 内側へ戻ってきた悔しさは、やけに静かだ。 静かな悔しさは、広の胸の奥に沈み、 沈んだまま、広に問いを投げる。
「お前は、負けたらどうする。」
勝つ方法なら、広はもういくつも知っていた。 ぶつかる角度。 まわしの掴み方。 足の運び。 息の置きどころ。 勝つための工夫は、努力の数だけ増えていく。 そして勝てば、誰かが褒める。 親方は多くを語らないが、背中の空気が少しだけ柔らかくなる。 兄弟子は「悪くない」とだけ言い、弟弟子は目を輝かせる。 勝つと、世界の扉がほんの少し開く。
だが負けは違う。 負けると扉が閉まる。 閉まる音が聞こえる。 そして恐ろしいのは、閉まる音が外ではなく、自分の中から聞こえることだ。 「だめだった」と自分で言ってしまう。 その一言が、膝を折る。 外の誰かに言われるよりも、自分の一言のほうが破壊力がある。
広は思い出した。 子どものころ、祖父が夜に縁側へ座り、 熱い茶をすすりながら何かをじっと見つめていた姿を。 祖父は多くを語らない。 語らないかわりに、背中が語っていた。 背中にあるものは、勝ちだけではなかったはずだ。 祖父の背中には、たぶん負けもあった。 それも、誰にも見せなかった負けが。 見せなかった負けは、恥ではない。 見せなかった負けは、品になる。 品になった負けは、背中の厚みになる。
その日、稽古場の隅で、広はひとりの力士の負け方を見た。 いつもなら負けない兄弟子が、若い力士に押し出された。 土俵の外へ出る瞬間、兄弟子の顔は歪んだ。 歪んだ顔は一瞬だ。 だがその一瞬に、人間の全てが出る。 兄弟子は落ちた。 土が舞った。 そしてすぐ立ち上がった。 立ち上がる速度が早すぎると、悔しさが飛び散る。 遅すぎると、悔しさに沈む。 兄弟子は“ちょうどいい”速さで立った。 その速さに、広は見惚れた。
兄弟子は、相手の目を見た。 目を見て、礼をした。 礼はいつもの礼と同じに見える。 だが違う。 負けた礼は、勝った礼より重い。 負けた礼は、自分の中の怒りを抱えたまま、 相手の勝ちを認める礼だ。 認めるという行為は、強さだ。 その強さがあるから、相撲は美しい。
広の胸の奥が、少しだけ熱くなった。 これは羨ましさだ。 勝ちへの羨ましさではない。 負けを抱えて立っていられる、その背中への羨ましさだ。 広は、初めて自分の欲望の形が変わっていくのを感じた。 横綱になりたい——その言葉の中身が、少しずつ変わる。 綱を巻きたいのではない。 綱に耐える背中が欲しい。
「負けを汚さない背中。」
「負けが背中を腐らせない背中。」
その夜、広はひとりで風呂の縁に座った。 湯気が顔にまとわりつき、視界が少し曇る。 曇る視界は、昔の墓地の朝に似ていた。 あの朝、広は石と線香と土の匂いの中で、 何か大きな背中を見た気がする。 それは実在した横綱の墓なのか、 それとも広の心が作った横綱の影なのか—— いずれにせよ、背中はそこにあった。 背中は、言葉を持たない。 背中は、勝ちも負けも黙って抱える。
湯の中で足首を動かすと、痛みが走った。 痛みは生きている。 生きている痛みは、今日という日を現実にする。 広はその現実の中で、負けの場面を想像した。 それは怖い想像だ。 怖い想像は、心臓の音を大きくする。 だが広は、怖い想像から目をそらさなかった。 目をそらさずに想像すると、想像は訓練になる。
もし負けたら—— まず、礼をする。 ただの礼ではない。 “負けた自分”を抱えたまま礼をする。 礼をするとき、心は必ず荒れる。 荒れた心を抱えたまま、礼の形を崩さない。 形を崩さないのは、相手のためではない。 自分の相撲のためだ。 形を崩すと、負けが汚くなる。 負けが汚いと、次の勝ちも汚れる。 次の勝ちが汚れると、相撲が汚れる。 相撲が汚れた横綱は、横綱ではない。
次に、控室へ戻る。 戻るときの歩き方。 歩き方にも相撲が出る。 早足で戻ると、怒りが背中に張り付く。 遅すぎると、悔しさに飲まれる。 “ちょうどいい”歩き方は難しい。 だから広は、歩き方を稽古した。 廊下を歩く。 息を深くする。 視線を落としすぎない。 まっすぐ見すぎない。 相撲部屋の廊下が、土俵の外の土俵になる。
「勝つ稽古は土俵でする。」
「負けの稽古は廊下でする。」
そして最後に、稽古場へ戻る。 人は負けると、逃げたくなる。 逃げれば楽になる。 だが楽になる方向へ歩くと、背中は薄くなる。 薄い背中は、綱の重さに耐えない。 広は耐える背中が欲しかった。 だから負けたら、稽古場へ戻る。 その場で相撲を取り直すのではない。 ただ土俵を見て、土の匂いを吸う。 土の匂いを吸うと、自分が相撲取りであることに戻れる。 相撲取りであることに戻れれば、負けは終わりではなくなる。
広はそこまで想像して、ふと笑ってしまった。 負けの稽古をこんなに真剣にする力士がいるだろうか。 だが笑いは悪くない。 笑えるうちは、心がまだ折れていない。 折れていない心は、負けを受け取れる。 受け取った負けは、背中の木目になる。 木目がある背中は、美しい。 美しい背中は、強い。
翌朝、親方が広を呼んだ。 いつもと同じ短い呼び方。 「広」 広は正座し、足首の痛みを腹に沈めた。 親方はしばらく黙っていた。 親方の沈黙は、いつも教えだ。 沈黙の中で、広は呼吸を整える。 呼吸が整うと、心も整う。
親方は言った。 「勝ちに行くな。相撲に行け。」 その言葉は、昨日の湯気の中で広が考えたことと、 不思議なほど同じ方向を向いていた。 広はうなずいた。 うなずく動作が、少しだけ大人になった気がした。 勝ちに行かないというのは、弱さではない。 勝ちに行かないというのは、勝ちの外側を守るということだ。 横綱は、勝ちの外側を守る者だ。
その夜、広は夢を見た。 夢の土俵は静かだった。 観客の声も、呼出の声も、遠い。 ただ土の匂いだけが濃い。 広は立っている。 相手も立っている。 立合いの瞬間、広は勝つか負けるか分からない。 だが不思議と怖くない。 怖くないのは、勝ちを確信したからではない。 負けを受け取る準備が、少しだけ出来たからだ。
立合い。 ぶつかる。 土が鳴る。 そして—— 広は負ける。 押し出される。 土俵の外へ落ちる。 土が頬につく。 冷たい。 冷たい土は、なぜか優しい。 土は勝ちを祝わない。 土は負けを責めない。 土はただ、受け止める。
広は立ち上がる。 急がない。 遅れない。 “ちょうどいい”速さで立つ。 その速さが背中になる。 相手を見る。 礼をする。 目の奥が熱くなるが、泣かない。 泣かないのは我慢ではない。 泣く前に、呼吸が整っている。 呼吸が整うと、心は乱れにくい。 心が乱れにくいと、礼が崩れない。 礼が崩れない負けは、汚れない。
「負けは、背中を作る。」
「汚れない負けは、未来を汚さない。」
目が覚める。 廊下に朝の光が落ちている。 光は冷たい。 冷たい光の中で、広は足首を確かめた。 痛みはある。 だが昨日より、痛みが静かだ。 静かな痛みは、心を落ち着かせる。 広は布団の上で、そっと手を合わせた。 祈りではない。 準備だ。 今日も土俵に上がれないかもしれない。 それでも広は、稽古をする。 勝つ稽古ではなく、負けを美しくする稽古を。
だが成熟は、ここで終わらない。 負けを美しくするだけでは、横綱の背中には届かない。 次に必要なのは、負けたあとにも勝ったあとにも同じ重さで守れる沈黙だ。 言葉で自分を救わない沈黙。 言葉で相手を切らない沈黙。 その沈黙を抱けるかどうかが、次の章で試される。 次は、第二十二章:沈黙を抱く(holding silence)。