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Hiro — 連作
ACT V — MATURITY

第二十三章:議論

沈黙は守るべきか、破るべきか。言葉が相撲を裁こうとする夜、広は“背中で答える”ことを試される。
Hiro連作(全30章) 23 / 30 議論正しさのぶつかり合い

その夜、部屋の灯りはいつもより黄色く見えた。 たぶん実際は同じ蛍光灯の色だ。 けれど人の心がざわつくと、光は変わって見える。 光が変わって見えると、影が増える。 影が増えると、言葉が増える。 言葉が増えると、世界は急に“狭く”なる。 狭くなる世界の中で、人は息をするために議論を始める。 議論は息だ。 そして息は、時に熱になる。

広は食堂の端に座っていた。 いつもの場所ではない。 いつもの場所に座ると、誰かの視線が刺さる気がした。 針みたいな視線は、刺さるだけならまだいい。 針が言葉を引っ張り出す。 針は小さいのに、心の中の大きな塊を引きずり出す。 引きずり出された塊は、机の上で形を変える。 形を変えると、人は言う。 「こういうことだろう」と。

議論の火種は、最初は小さかった。 テレビの向こうの解説者が言った一言。 週刊誌の端に載った見出し。 どこかの誰かの“正しさ”。 正しさは便利だ。 便利だから使われる。 使われると磨耗する。 磨耗した正しさは、刃になる。 刃になった正しさは、相手だけでなく、自分も切る。

若い弟弟子が口火を切った。 「相撲って、結局、神事なんすか。興行なんすか。」 その質問は、何度も繰り返されてきた質問だ。 何度も繰り返されてきたのに、答えが固定しない質問。 固定しないから、燃える。 燃えると、誰かが自分の信じたい形を押しつける。

「神事だよ。」
「いや、興行だろ。」
「両方だって。」
「両方って、逃げじゃねえか。」

声が重なり、空気が厚くなる。 厚い空気は、胸の奥の息を浅くする。 息が浅くなると、言葉が尖る。 尖った言葉は、誰かを傷つける。 傷つけたあとで、人は“正しさ”で包帯を巻こうとする。 だが正しさの包帯は、痛みを増やすことがある。

広は黙っていた。 黙っていると、皆の声がよく聞こえる。 よく聞こえる声の中に、恐れが混じっているのが分かる。 神事であってほしいという恐れ。 興行であってほしいという恐れ。 どちらも、未来が変わる恐れだ。 未来が変わると、自分の努力の意味が変わる。 努力の意味が変わるのが怖いから、人は“定義”を欲しがる。

「横綱って何なんすかね。」 それは別の弟弟子が、ほとんど独り言みたいに落とした言葉だった。 独り言は時に、議論の中心に刺さる。 刺さった瞬間、皆が少し黙った。 広はその沈黙に、柔らかな重さを感じた。 沈黙が生まれる瞬間は、いつも美しい。 皆が同じ場所を見ている。 同じ問いを見ている。 同じ怖さを見ている。

兄弟子の一人が言う。 「横綱ってのは、勝ち続けるやつだろ。」 別の兄弟子が言う。 「勝ち続けるだけなら、大関でもできる。」 また別の声。 「品格って言うけど、品格って何だよ。」 品格という言葉は、いつも逃げ道にもなるし、牢屋にもなる。 言葉が曖昧だと、人はそこに自分の都合を詰め込む。 そして都合を詰め込んだ品格で、誰かを裁く。

「裁くな。」
その言葉が、広の喉まで来た。
けれど、広は飲み込んだ。

沈黙を抱くと決めたばかりなのに、 議論は広の沈黙をこじ開けようとする。 それが議論の怖さだ。 議論は誰かの口を借りて、皆の心を軽くする。 軽くなると気持ちがいい。 気持ちがいいと、もっと言いたくなる。 もっと言うと、相撲より言葉が大きくなる。 相撲より言葉が大きくなると、土俵が縮む。 土俵が縮むと、力士は息ができなくなる。

広は、土俵が縮む感覚を知っていた。 注目されはじめたころの息苦しさ。 記者が玄関に立つときの息苦しさ。 怪我をして稽古ができない朝の息苦しさ。 息苦しさは、言葉で救いたくなる。 だが言葉で救うと、次に言葉が必要になる。 言葉は薬にもなるが、依存にもなる。 依存した言葉は、いつか自分を裏切る。

議論が熱くなる。 その熱が、まるで夏の土俵のように部屋を満たす。 汗の匂いではない。 正義の匂いだ。 正義の匂いは甘くて、危ない。 甘い匂いは、人を酔わせる。 酔うと、人は自分が正しいと信じる。 正しいと信じた人は、相手に礼を忘れる。

広は思った。 相撲は礼で始まり、礼で終わる。 礼がない議論は、相撲を語っているようで語っていない。 相撲のことを語るなら、まず礼が要る。 礼は言葉ではない。 礼は所作だ。 所作は背中だ。 背中は嘘をつかない。

「女が土俵に上がるのはどうなんだよ」 誰かが別の火種を投げた。 火種は投げると飛ぶ。 飛ぶと、誰かの胸に刺さる。 刺さると、その人の過去も一緒に燃え始める。 過去が燃えると、人は冷静ではいられない。 冷静でいられないと、議論は裁判になる。

「相撲は誰のものだ。」
「伝統は誰のためにある。」
「変えるのは裏切りか。」
「守るのは怠慢か。」

そのとき、親方が食堂に入ってきた。 親方の足音は大きくない。 だが空気が変わる。 親方は議論を止めなかった。 止めないことが、止めることになる場合がある。 親方は湯呑みを持って座り、皆の顔を順番に見た。 目は怒っていない。 ただ、見ている。 見られると、人は自分の言葉を聞き直す。 聞き直すと、言葉の粗さが見える。

親方はしばらく黙っていた。 その沈黙は、議論の上に置かれた重しだった。 重しが置かれると、言葉が軽く飛べなくなる。 飛べなくなると言葉は、初めて“意味”の重さに戻る。 親方はようやく言った。

「相撲は、答えじゃない。」
「問いだ。」

問い。 その二文字で、部屋の熱が少し引いた。 答えが欲しいから揉める。 答えが欲しいから裁く。 けれど相撲が問いなら、裁く必要はない。 問いを抱けばいい。 問いを抱いたまま、土俵に上がればいい。 土俵に上がれば、体が答える。 体の答えは、言葉の答えより誠実だ。

親方は広を見た。 その視線が、広の胸に静かに入った。 親方は広に「言え」と言わない。 だが「背中で言え」と言っている。 広はうなずいた。 大きくうなずかない。 小さく、確かに。 そのうなずきは、議論の中で唯一の所作だった。

夜が深くなり、議論は少しずつ解けていった。 解けたあとに残るのは、疲れではなく、寂しさだ。 答えがないまま終わる議論は、寂しい。 だが寂しさは、成熟に似ている。 成熟とは、答えがないものを抱えることだ。 答えがないのに投げ出さないことだ。 広はその寂しさを、胸の奥にしまった。 しまうと、不思議と温かい。 温かい寂しさは、相撲を愛している証拠だ。

廊下に出ると、外は雨だった。 雨は音を増やす。 だが雨の音は、議論の音とは違う。 雨の音は裁かない。 雨の音は正しさを振りかざさない。 雨はただ落ちる。 ただ落ちる音が、広の心を少し洗った。 洗われた心で、広は思う。 議論は必要だ。 だが議論の中心に置くべきものは、言葉ではない。 土俵だ。 土俵の匂いだ。 礼だ。 そして背中だ。

「俺は、答えを言わない。」
「俺は、相撲で問いを抱く。」

次の章で、広はさらに深い場所へ進む。 綱の前——その手前にある、奇妙な静けさ。 まだ栄光ではない。 まだ称賛ではない。 ただ“近い”という匂いだけがする。 近い匂いは、人を酔わせる。 酔う前に立てるかどうか。 次は、第二十四章:綱の前(before the rope)