綱は、目に見えるものだ。 太く、白く、ねじれている。 太いのに、静かだ。 けれど綱よりも先に、匂いが来る。 目に見えない匂いが、土俵の外の世界を変えてしまう。 その匂いは、香水みたいに華やかではない。 線香みたいに強くもない。 ただ、鼻の奥に残る。 残ったまま、次の呼吸を変える。 呼吸が変わると、心が変わる。 心が変わると、背中の角度が変わる。
広は、その匂いを感じ始めていた。 誰も「横綱」とは言わない。 まだ言ってはいけない。 まだ確定していない。 だが言葉にならないところで、皆が同じ匂いを嗅いでいる。 その匂いを、広も嗅いでしまう。 嗅いでしまうと、危うい。 危ういから、広は息を深くした。 深くした息で、匂いを胸の奥へ落とした。 胸の奥に落ちた匂いは、甘い重さになる。
甘い重さは、祝福に似ている。 「お前はもうすぐだ」と言われている気がする。 言われていないのに、言われた気がする。 その勘違いが、人を壊す。 壊れるのは体ではない。 背中だ。 背中は見えないから、壊れていることに気づきにくい。 そして背中が壊れたまま勝ち続けると、相撲が壊れる。 広は、相撲を壊したくなかった。
「近い」という感覚には、毒がある。 近いと、人は手を伸ばしたくなる。 伸ばした手は、何かを掴もうとする。 掴もうとすると、肩に力が入る。 肩に力が入ると、動きが遅くなる。 動きが遅くなると、土俵が広がって見える。 土俵が広がって見えると、迷いが増える。 迷いが増えると、勝ちが遠ざかる。 だから、近いときほど、手を伸ばしてはいけない。 近いときほど、足元を揃える。
綱は、掴むものではない。
綱は、背中が呼ぶものだ。
朝、稽古場へ向かう廊下で、広は弟弟子とすれ違った。 いつもなら挨拶は短い。 「おはようございます」 それだけだ。 だがその朝は違った。 弟弟子の声が、ほんの少しだけ上ずっていた。 上ずりは期待だ。 期待はやさしい顔をするが、重い。 重い期待は、背中に乗る。 広はその期待を、受け取らないように受け取った。 受け取らないように受け取る—— それが「綱の前」の所作だ。
稽古が始まる。 足首はまだ完全ではない。 だが完全ではない体が、広を救うこともある。 完璧な体は、勘違いを許す。 “自分は出来る”という勘違い。 勘違いは油断に変わる。 しかし不完全な体は、油断を許さない。 広は不完全さに、礼を言いたくなった。 不完全さは、まだ道の途中だと教えてくれる。 途中である限り、背中は傲慢になりにくい。
稽古場の空気は、熱い。 熱は汗になり、汗は土に染みる。 土が湿ると匂いが立つ。 匂いが立つと、昔の記憶が戻る。 祖父の背中。 墓地の朝。 線香の煙。 あのとき広は、横綱の“影”に出会った。 影は言葉を持たない。 影はただ立っていた。 立っているだけで、広に「品」を教えた。 品は、勝つことよりも難しい。 勝ちは稽古で取れる。 品は日々でしか取れない。
稽古が終わっても、広の胸の中の熱は消えない。 熱が消えないとき、人は外へ出たくなる。 外の空気を吸いたくなる。 いつかの広なら、外へ走っていた。 走って、夜を飲み込んでいた。 だが今の広は、外へ出ない。 外へ出ないというのは、我慢ではない。 選択だ。 選択は成熟だ。
誘惑は、外にだけあるのではない。
誘惑は「近い」という匂いそのものだ。
その午後、部屋の電話が鳴った。 誰かが取る。 短い会話。 切る。 そして廊下に小さな波が走る。 波は囁きになる。 囁きは言葉にならないまま、広の背中に触れる。 「取材が来る」 「写真が欲しいらしい」 「番付がどうなるって」 それらはまだ形になっていない話だ。 形になっていない話ほど、人を惑わせる。 形になっていない話は、夢と同じ匂いがする。 夢の匂いは、甘い。
広はその甘さを、口に入れないようにした。 甘さを口に入れると、言葉が甘くなる。 甘い言葉は、自分を飾る。 飾った自分は、土俵で重くなる。 重い体は、立合いで遅れる。 遅れは、勝負の終わりを早める。 綱の前の季節は、勝負の終わりが早い。 小さな油断で、全部が崩れる。 崩れるとき、音はしない。 ただ匂いだけが変わる。
夜、広は一人で稽古場へ戻った。 誰もいない土俵は、昼よりも大きく見える。 何もない土俵には、言い訳が置けない。 言い訳が置けない土俵は、清い。 清い場所に立つと、自分の胸の濁りが見える。 濁りは、恐れだ。 恐れは、欲だ。 欲は、近さに酔う。 広は酔いたくなかった。
土俵の端に座り、広は土を見つめた。 土は昼の足跡を抱えている。 足跡は消えていく。 消えていくから、足跡は美しい。 栄光も同じだ。 栄光は残らない。 残らないから、栄光は美しい。 残らないものに、背中を売ってはいけない。 売るべきものではない。 背中は、相撲のためにある。
「綱の前」とは、誰にも祝われない儀式だ。
まだ手にしていないもののために、すでに自分を戒める。
それが、横綱の入口だ。
そのとき、外から風が入った。 夜の風は冷たい。 冷たい風は、胸の熱を少し冷ます。 広は目を閉じ、風の音を聞いた。 風は言葉を持たない。 だが風は、土俵の上に“間”を作る。 その間は、祈りに似ている。 祈りは「ください」ではない。 祈りは「整えます」だ。 広は胸の中でそう言った。 誰にも聞こえない声で。 誰にも聞こえない声は、嘘をつけない。
明日からまた、勝負が続く。 勝つかもしれない。 負けるかもしれない。 だが綱の前の季節で本当に試されるのは、 勝ち負けの中身ではなく、勝ち負けの“あと”だ。 どう歩くか。 どう礼をするか。 どう黙るか。 どう笑うか。 どう土俵へ戻るか。 それが背中になる。 背中が綱を呼ぶ。
次の章で、広は“綱”そのものに触れる練習を始める。 まだ実際の綱ではない。 だが綱の形を体に入れる。 体に入れると、心が先に揺れる。 その揺れをどう鎮めるかが、広の次の稽古になる。 次は、第二十五章:土俵入りの稽古(dohyo-iri practice)。 綱はまだない。 けれど、綱の影はもう土俵に落ちている。